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今回は論理的思考によって的確な意見を言い、マルチな活躍を見せる実業家、2ちゃんねる開設者ひろゆきさんを取り上げていきます。
2ちゃんねるを開設し、日本ネット界に影響を与えたひろゆきさんの人生の中身知りたくないですか?

ここでクイズです。
ひろゆきさんは、ある人にマジギレされます。
マジギレした人は誰でしょう?
答えは動画・記事の中で探してみてください。
名前: ひろゆき
出身:神奈川県相模原市
生年月日: 1976年11月16日
- ひろゆきさんの原点・赤羽
- ネット界を変えた2ちゃんねる開設
- 人生を変えたスキルとは?
【ひろゆきさんの原点・赤羽】
ひろゆきさんは1976年神奈川県の相模原市で生まれます。
父親は公務員でお金には困っていなかったそうですが、お小遣いがなく、お金がない子ども時代を送っていたそうです。
小学生の頃は東京の赤羽で過ごしており、その頃から他の人とは違う一面を持っていたことがわかるエピソードが多々あります。
まず、ひろゆきさんが通っていた小学校は集団登校で、団地内の子ども達は一緒に登校していたそうです。
ひろゆきさんが6年生の時は団地内に6年生が1人だけだったので、下の子達を引率しなければいけない立場だったようです。
しかしひろゆきさんは引率した記憶が全くないそう、、、
その理由は、朝起きれなかったから、と語っています。
しかし、この寝るというのはひろゆきさんにとって最重要事項です。
この理由に関しては後ほど明らかになるので、最後までご覧くださいね。
さらに、ひろゆきさんは小学生の頃、先生から怒らなれない日は一度もなかったとも語っています。
そのことについて、ひろゆきさんは
「子どもは失敗したり、怒られたりして修正すると思うんですが、それをしないままなんとか来れてしまった」
と語っていて、あまり怒られることに対して抵抗はなかったようです。小さい頃から他の人とは少し違った感覚の持ち主だったんですね。
ひろゆきさんと言えば「論破」
高校生の頃にはこんな話があります。
不真面目だった彼に対して数学のおばあちゃん先生が説教を始めたところ、
「何で数学を勉強しなければいけないんですか?」
と言い放ち、先生を論破します。
今ではこの論破キャラは、ひろゆきさんの代名詞。
「何すかしゃぞーって?」と、 「写像」という言葉を知らなかった彼を馬鹿にした相手に、「一般的な言葉ではないし、ゲストを馬鹿にするのは失礼じゃないですか?」と的確な一言を浴びせます。
また、インターネットのせいで、いじめが増えたという討論に対して、「あなたの感想ですよね?」「何かそういうデータがあるんすか?」と冷静に笑顔でその場を凍りつかせます。

今ここです!
やはり小さい頃の環境というのは、人生において大きな影響を与えるのですね。

そして、ひろゆきさんの才能が開花される大学時代。
ひろゆきさんは大学受験では勉強をしたくないという理由で、用語集の一番薄い政治経済を選び、自分の学力で受かる大学を受けます。
さらに「大学を受けたのも「大卒」のカードは持っておこう思ったから」と話しています。
そんなひろゆきさんは、学問を学ぶというよりは、単位を取ることにフォーカスしていたため、時間がかなりあったそうです。
そこで、バイト代わりの暇つぶしにと、仲間たちとホームページ制作の会社「東京アクセス」を立ち上げるのです。
当時は面白いサイトが少なかったそうで、
「今度は自分で作ってみよう」
と思いつくられたのが「交通違反の揉み消し方」というページです。

そんなひろゆきさんはとあることがきっかけでアメリカへ留学します。
そのとあるきっかけとは、バイクの交通事故。
実は、アメリカの留学には、バイク事故の慰謝料で行っています。
また、その事故では大きな怪我はなかったそうですが、お金がもらえるという理由で病院に通い続けた結果、病院の人から
「もう来なくても大丈夫ですよね?」
と言わるほど通っていたのだとか。
そんな留学先のアメリカで、ひろゆきさんは人生最大の挫折を経験します。
それは友達がビール瓶を歯で開けるのを真似して、歯が欠けてしまったこと。
当時、ひろゆきさんは人ができることは自分も大体できると思っていたそうですが、これができずにすごいショックを受けたそうです。
今ここです!
まさか人生最大の挫折は歯が折れてしまったことなんて思いもしませんでした。

【ネット界を変えた2ちゃんねる開設】
人生最大の挫折を味わったアメリカでひろゆきさんは、1999年にネット界に一石を投じた2ちゃんねるを立ち上げます。
ひろゆきさんが2ちゃんねるを立ち上げた理由は、
「暇だったから」
だそうです。
春休みで授業もなく、大学の寮の友達もみんな地元に帰っていて、プログラムでもやろうと思って作ったのが2ちゃんねる。
この2ちゃんねるが出来上がるまでは「1ヶ月ちょっとでリリースした後に少しずつ必要な機能をつけていった」とも語っています。

当時、ひろゆきさんがアメリカに留学中はまだニュースサイトもそんなに多くなかったそうです。
そこでひろゆきさんは日本の情報を得るために「あめぞう」という掲示板を見ていた時に、
「これ自分でもつくれるかな?」
と思い作ったのが2ちゃんねる。
ただひろゆきさんが凄いのは2ちゃんねる自体が大きくなることは予想していたそうで、サイトが大きくなったことについて、
「ただ思ったより早かっただけ」
とも語っています。
2ちゃんねるを開設してから、彼は勢いに乗り、日本を代表する実業家へと成長していきます。
しかし道のりは決して甘いものではありません。少なくとも普通の人から見ると、、、
その理由もこの動画・記事を通じてわかってきます。
話を戻しますと、ひろゆきさんはその後、大学をほぼフル単位で卒業をします。
ただすべての授業に出ていたわけではないそうで、出なくても単位がとれる授業を選び、最短距離で卒業をしたそうです。
そんな大学生活のことをひろゆきさんはこう語っています。
「大学時代は家賃28000円のところに住んでて、米は実家からかっぱらい、おかずは人から一品ずつもらって暮らしてました。そうすると僕の昼ご飯が一番豪華になるんです。『お弁当のおかずくれ』って言って、くれなかった人はひとりもいないですね」
倹約家で有名なひろゆきさん。
この頃から、倹約家としてのスキルはかなりのものがあったことがわかります。
今ここです!
ここからひろゆきさんは多くの会社と関わることになります。ですが、ここからは普通の人が聞いたら想像を絶する話ばかりです。では続きを見ていきましょう!

大学卒業後は、2002年に東京プラス株式会社(東京都北区)を設立するとともに代表取締役に就任。
翌年には、竹中直純さんらとともに未来検索ブラジルを設立し、取締役に就任します。
その後、2005年にはニコニコ動画を作ったニワンゴの取締役管理人に就任。
ちなみに、社名はプロジェクト名がひろゆきさんの本名を使った「西村博之のドワンゴプロジェクト」だったので、それを簡略化して「ニワンゴ」となったそうです。
しかしひろゆきさんはニワンゴを2013年に一身上の都合により辞任しています。
会社から邪魔者あつかいされたようですw

そして、ここまででひろゆきさんは普通の人では考えられない出来事が起こっています。
それは訴訟を起こされた数とその賠償金額。
2ちゃんねるへの投稿の関係で訴訟を起こされるこがあり、訴訟を起こされた件数が50件以上、賠償金は2007年時点で合計5億円と報じられています。
ですが、逃げ切った方が得という事で、10年の時効を待ち賠償金を払わずに済むのです。
ここでさらに驚きなのが、賠償金は最終的に30億円ほどになったそうです。
とてもつもない金額ですよね。
ひろゆきさんは訴訟数がピークの時は毎日のように裁判所に行き、一番多い時は2日に1回ペースで1日に3件出廷するトリプルヘッダーもあったと言っています。
話が凄すぎて全く想像ができません。
また、裁判所に入る際は免許証で本人確認が必ずあるそうなのですが、裁判所に行きすぎて顔パスになったそうです。
今ここです!
10年間も逃げるメンタルは恐るべし!

それらの事件の中でも大きく取り上げられたのが、2012年に麻薬特例法違反、幇助(ほうじょ)の容疑で自宅などの捜索、差し押されたこと。
これは「2ちゃんねる」で覚醒剤の購入を持ちかける違法な書き込みが放置されたことがきっかけで起きた事件です。
ただひろゆきさんはこの時、2ちゃんねるの事業をシンガポールに譲渡し、管理人を退いていました。
それなのにも関わらず、警視庁がひろゆきさんや有限会社検索ブラジルを家宅捜索と差し押さえをするのです。
それに対し、ひろゆきさんは違憲・違法として、東京都と大阪府に国家賠償訴求を提起するというもの。
この件に関して、ひろゆきさんはホリエモンさんとのニコニコ生放送「ホリエモン満漢全席」で、
「僕は悪いことしていたら全然謝りますよ。ただ、僕の容疑が、麻薬の販売を幇助したという容疑じゃないですか。全く僕が関知しないところなので、やってもいないことを謝れっていうのは、さすがに無理かなと思うんですよ」
と語っています。
こういった波乱にも巻き込まれながらも、2014年にひろゆきさんは7年以上も同棲していた方と結婚します。
ひろゆきさんは結婚に至る経緯については
「朝5時まで友達とサイゼリヤでしゃべっていて…。その日がちょうど彼女の誕生日だったんですよ。
結婚記念日と誕生日を一緒にしておけば、「結婚記念日忘れた」問題でモメるのを回避できることに気がついて、あ、いまだと。家に帰ったら起きてたので「結婚しよう」って。
その日のうちにバタバタと調べて、北区に行って結婚の証明書を取りました。」
と語っています。そんなお二人は翌年2015年に、奥さんが選んだフランスでの生活をスタートさせます。
今ここです!
そんな簡単なプロポーズで奥さん怒らなかったんですかねw

そして2015年に米匿名掲示板「4chan」を買収し、管理人に就任。

「4chan」の開設者のmoot氏はこれについて発表文でこう語っています。
「ひろゆき氏は匿名コミュニティーのパイオニアであり、4chanの曽祖父(ひいおじいさん)とみなすことができる(4chanの親であるふたば☆ちゃんねるの親にあたる2ちゃんねるの親なので)。同氏が1999年に立ち上げた2ちゃんねるは、4chanを触発したふたばちゃんねるの開設につながったのだから」と。
それに対してひろゆきさんはTwitterで
「おいらは“ひいおじいちゃん”と呼ばれるほど年寄りじゃないよ」
とツイートしています。

またその年にはハリウッド・エンタメ情報サイトの日本版「Variety Japan」の編集長にも就任し、活動の幅をどんどん広げていきます。

今ここです。掲示板のひいおじちゃんという異名は、彼にぴったりな言葉です。

ただ、ひろゆきさんは2014年〜2019年まで2ちゃんねるの管理権限をめぐりジム・ホプキンスとずっと争っており、ひろゆきさんは一度2018年に勝訴します。
ですが、2019年にはその判決が取り消されるというひろゆきさんには珍しいドロドロした事件も起こっています。
ひろゆきさんは、この件に関してこう語っています。
「タイムマシンに乗って過去に戻ったとしても、同じ判断をして、同じあやまちを犯すんだろうなと。たぶん変わらないんじゃないですかね。騙すよりは騙される方が人生楽なんで。」
とはいえ、現在は2chの日本国内における商標権を取得し、今の2ちゃんねるはひろゆきさんが改めて作ったものであり、元々の2ちゃんねるは5ちゃんねるへと名前が変わっています。
【人生を変えたスキルとは?】
そんなひろゆきさんは、現在コロナウイルスに関する情報なども含め、コメンテーターとしても活動しており、これまで本の出版も共著を含めると10冊以上。

先日は、ダルビッシュ有さんと会うために、わざわざフランスからアメリカまで向かったこともダルビッシュ有さんのYouTubeで紹介されていました。

さらにはホリエモンさんとも昔から仲がよく、ホリエモンさんはひろゆきさんに対して、
「彼とは馬が合います。彼は稼いでいるくせにあまりお金を使わないし、そういうところで少し違いはありますが、それ以外の面では知識や考えていることのレベルが似ていて、議論がよく噛み合います。こういう人には、なかなか出会えません。」
と言っています。
また、ひろゆきさんはまこなり社長とコラボしている動画で、人生を変えたスキルは「寝ること」と答えています。
というのも、彼曰く、
自分の能力値は50、60点ぐらいなので、自分より能力に高い人に負けないためには、50、60点を出し続けることが重要だと言っています。
すると、能力値が高い人が寝不足だと僕より点数が悪くなると。
そのためには、寝て体調を万全にしておかなくてはいけないから、
人生を変えたスキルは「寝ること」だと挙げたのです。

誰がどう見ても、能力値は高いと思うのですが、彼の哲学には脱帽させられるばかりです。
そしてひろゆきさんがTBSの「グッとラック!」の番組に出た時にこんなことがありました。
番組内では東方神起が初のオンラインライブを紹介し、3D映像を駆使した演出などが最新の取り組みとして取り上げました。しかしひろゆきさんは、その取り組みについて
「こういう技術は昔からありますよ。」
というようなことを言います。
その意見に対して、
国山ハセンアナウンサーが
「なんでそう嫌な事ばかり、さっきから言うんですか。新しい試みだった紹介しているのに」
とキレました。それにはひろゆきさんも慌てて謝るシーンもありました。
ただこれはテレビの中のお約束のギャグパターンであることを共演者の立川志らくさんが語っています。

【まとめ】
独自の観点から、一目置かれる存在のひろゆきさん。
その主張は腑に落ちる意見ばかり。これからの時代は特にひろゆきさんのような論理的な思考が必要になってくるのかもしれません。
人生を通して経験が豊富だからこそ、語られているものばかりなので、勉強になることばかりです。
気になった方はひろゆきさんもYouTubeチャンネルを持っているので、ぜひ見てみてください。
YouTubeライブでは、スーパーチャットを投げると質問に答えてくれますよ!
以上イキザマチャンネルの糸山がお送りしました。