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今回は「もこう先生」・「ポケモン配信の王」・「ゲーム実況の王」・「帝王」などさまざまな「王」という称号を持つもこうさんを取り上げていきます。
ゲーム実況中はヒートアップし、ファンや視聴者に対して言葉を荒げたり、マリオカートでよくコントローラーを壊してますw

しかしゲームの腕前は本物で、ゲームに対する熱い想いとカリスマ性を活かし、さまざまなメディアで活躍されています。
そんな彼の幼少期の暗黒時代から現在に至るまでを見ていきたいと思います。
これが彼の人生グラフです。
彼には昔とてもつらい暗黒時代がありました。しかし数々の試練を乗り越えながら彼は成功を収めることになります。

この動画・記事を最後までご覧頂ければ、彼のゲームに対する思いや、彼の素顔を見ることができます。そしてこれから彼の動画もさらに楽しんで見ることができるでしょう。
名前: もこう
出身:大阪
生年月日: 1990年11月15日
- 彼一人だけの卒業式
- ポケモンを愛した末路
- YouTubeチャンネル登録者100万人到達
【彼一人だけの卒業式】
1990年、彼は大阪で生まれました。
彼の人生を変えたと言っても過言ではないゲーム。
やはり小さい頃から好きだったようです。
ゲーム実況でも代表作となっているポケモンは小さい頃からやっていたと言っています。
また、ゲーム以外にパソコンを使うのも得意だったようで、小学生の頃には自分でホームページを作っています。
そのホームページでは、ポケモンの攻略法を載せたり、書き込み掲示板を作ったりし、ネット上でホームページに訪れた方とコミュニケーションをとっていました。

そんな彼は早くも中学1年生で人生のどん底を経験します。
彼が中学1年生の頃、厚生労働省も難病に指定している潰瘍性大腸炎という病気になり、入院することになります。
そして、彼が退院したのは、中学生2年生の頃。
彼は退院し学校に行くも、周りの雰囲気に馴染むことができないと感じ、それに耐えることができず、学校から逃げ出します。
そして、その日から彼は不登校になり、引きこもり生活が始まるのです。
不登校時代はネットを中心とした生活でした。
その時、2ちゃんねるの引きこもり掲示板で「智明」という名前で活動し始めます。
と同時に、彼の代表作にもなるぷよぷよのネット対戦も始めます。
ぷよぷよの駆け引きの面白さにハマったそうです。
しかし不登校の時は辛かったそうで、自殺を考えた時もあったと言っています。
そんな状態のまま、彼は中学の卒業式を迎えるのです。
ですが、彼は卒業式に出席することを拒みます。
なぜなら、卒業式は校長室で、彼たった一人で行うことを聞かされていたからです。
彼は卒業式当日、母親に、
「卒業式も行きたくない」
と言います。しかし母親は、
「卒業式は出てほしい」
とその一言だけ言ったそうです。
そして、その後は何も話すことなく、いつもとは違う綺麗な服に淡々と着替える母親の姿を見て、
「これは行くしかない」
と思い、卒業式に出る決心をします。
そして彼一人だけの卒業式が始まりました。
そこには国語や数学の先生もいて、彼一人だけの卒業式のために、複数の先生が集まっていました。
その中には中学1年生の時の担任の先生がいたそうで、その先生が彼に向かってこう言います。
「ごめんね」と。
彼の気持ちとしては、
「先生のせいじゃないのに」
という申し訳なさを感じたそうです。
そして、一緒に卒業式に出ていた母親は泣いていました。

そんな彼は中学卒業後、通信制の高校に通います。
高校へは週3回通っていて、ここで不登校は克服したということです。
高校生になって友達が何人かできたそうなのですが、夏休みなどで疎遠になり、結局友達はできなかったそうです。
そんな彼は高校で初めて女の子の友達ができます。
しかも友達になったきっかけは、女の子からのアプローチだそうで、なんと二人同時に。
確かに彼は落ち着いた雰囲気もありますし、学生の頃は自分では気づかなかっただけで、女の子から人気があったのかもしれませんね。
そんな女友達とは映画を観に行ったりしますが、また結局、夏休みで疎遠になったのだとか。
そんな彼は先輩と仲が良かったそうです。
というのも、2ちゃんねるの活動名「智明」という名前で、ブログをしていたのがバレていて、それを知っている先輩と一緒にいたと言っています。
そんな高校時代にニコニコ動画にハマり出します。
そのハマり具合も、
「ニコニコ動画があるから俺は友達はいらない」
と思うほど。
そんな彼に試練が訪れます。
それは大学受験です。
彼は数多くの大学を受けるも、全く受かりません。
関西にある大阪商業大学、近畿大学、追手門大学などことごとく落ちます。
さらに京都産業大学に両親と一緒に行き、学生から説明を受け、それを聞いた父親は、
「もうここでええんちゃうん?」
とあたかも受かる前提で彼にすすめたそうです。
そして、その父親がすすめた京都産業大学に公募推薦で受けるのですが、落ちてしまいます。
大学受験がなかなかうまくいかずに悩んでいた彼。
そんな時、数少ない通信制の年上の友達と進学の話をします。
その友達との話の中で、追手門(おうてもん)大学に行くか行かないかの話になります。
実はこの時、彼はすでに追手門大学は落ちていました。
その状況を知らない友達は彼に
「追手門はやめといた方がいいで!」
と助言をすることもあったそう。
その時、彼はとても複雑な気持ちになったと言っています。
その後も大学が決まらずかなり追い込まれたそうなのですが、やっとの思いで大学が決まるのでした。
しかしその大学に受かった時には、ちょっとしたエピソードがありました。
大学に合格していたら、合格通知はパンフレットなどが入っていて分厚いというイメージがあったそうです。それは彼だけでなく、ご両親も。
しかし、彼はこれまでに複数の大学を受けていたため、薄い封筒の合格通知しか届いたことがありませんでした。
その合格した大学の通知もかなり薄かったので、それを見た母親が、
「薄いわ〜」
と言ったそうです。
こんなエピソードがありながら、彼は無事に大学生になることができるのでした。
ただ、受験に苦戦した彼ですが、実はうまくいかなかった理由があるんです。
それは、ゲームに夢中になってしまったこと。
彼は受験生にも関わらず、その時発売されたモンスターハンターセカンドジーとポケモンプラチナをやり込むのでした。
「最初はやるつもりなかったけど、2チャンネルのVIPスレを見ていたら我慢できなかった」
と彼は言っています。
さらにモンスターハンターセカンドジーは受験生にも関わらず、1500時間プレイしたらしく、、、
1年が8760時間ですから、そのうち約8分の1の時間もプレーしていることになります。
それはゲームがうまくなるはずですね。
ただ、彼曰く、そのおかげでソロではクリア不可能と言われたモンスターハンターの武神闘宴をクリアできたと言っています。
今となっては、ゲーム実況を通じて多くのファンがいるだけではなく、活躍の幅を広げているので、学生時代の努力は実っていると言えますね。
今ここです!
中学の暗黒時代、そして受験失敗という困難を経て、彼は次のステージに向かいます。そして、大学生になった彼にはある転機が訪れます。

2009年大学に進学。
入学してすぐの2009年5月25日に、彼が一気に名前を広めることになるニコニコ動画に動画を投稿し始めます。
彼は短期間で動画を上げ、早くも人気が出るのでした。
そのきっかけになったのが、「ポケットモンスター」シリーズにおけるポケモンバトルを題材とした動画シリーズ「厨ポケ狩り講座」です。

ちなみに厨ポケとは、対人戦で特に強いポケモンのことを言います。
この動画に突如、彼が「(⌒,_ゝ⌒)」この顔文字を付けてコメントをします。
ファンからも愛用される事になり、この顔文字が今後絶える事はないでしょう!

「マンダのりゅうせいぐんはつよい」
もこう先生の名言も誕生しますw

そんな彼の人生を変えたと言っても過言ではない、この「厨ポケ狩り講座」。
その動画を上げるのに、こんなきっかけがありました。
彼がポケモンと出会ったは小学生の頃。
当時、人気大爆発となった「赤」「緑」からやり始めています。
ポケモンをやり始めた頃は、攻略していくストーリーを楽しんでいたそうです。
クリアして終わったらリセットしてやり直す、といった楽しみ方をしていました。
そして、やり込んでいくうちに、だんだん育成の方が楽しくなっていきます。
ポケモンの卵を割って個体値の高いポケモンを出し、自分好みで努力値を振り分け、技の構成を考える。
そんな楽しみを見出し、ポケモンへの情熱をさらに高めていきます。
そして、あるインタビューではこんなことを言っています。
「やっぱりこのゲームの本当の面白さっていうのは、個々のポケモンの能力を見出してオリジナルの理論で育成して、戦術を考えながら勝ち負けを競い合うところにあると思うんです。
だからどのポケモンも土俵は変わらないはず。でも能力の高いポケモンを使用するトレーナーが多いのが現実で、強いポケモン・弱いポケモンみたいに区別されているのが嫌だったんですよ。
それでいつしか、種族値が高いポケモンを種族値の低いポケモンで倒したいと思うようになってきましたね。」
これが彼が「厨ポケ狩り講座」をやるきっかけであり、「もこう先生」と呼ばれるようになります。
私もポケモンをやっていましたが、ここまで深く考えたことはありませんでした。彼の考えの深さに関心させられます。
そんな彼は20歳を迎えます。中学、高校とあまりいい思い出がない彼は成人式には行かなかったそうです。
彼は、
「成人式に行くのが怖かった」
と言っています。
ただ嘘をついて成人式を休みたくなかったため、バイトを入れて行かない口実を作ったそうです。
そんな彼は、大学では2,3人の友達ができ、その友達と同じゼミに入りカフェ経営などを学んでいたそうです。

今ここです!
少しずつ彼の人生は向上していきます。しかし、まだ一回落ちるところがあるので、そこも気になりますね。では続きを見ていきましょう。

【ポケモンを愛した末路】
彼は大学卒業後はシステムエンジニアとして一般企業に就職します。
会社員として働きながらも、動画の中でファンを増やしていきます。
そして、2013年にYouTubeチャンネルを開設します。
ゲーム実況を通じて、過激な発言もありますが、その中でもファンをさらに増やしていきます。
そんな彼は、ある決断をします。
それは、「新・厨ポケ狩り講座」の配信をやめること。
やめてから、オワコンと呼ばれることもあり、彼に空白の期間できてしまいます。
この「新・厨ポケ狩り講座」をやめる経緯を説明すると、
前シリーズを超えるくらいの意気込みで投稿していたそうです。
Part1は再生数が伸びたのですが、そこから徐々に投稿のペースも下がり再生数も落ちていきます。
そして、彼はこの頃のことを
「ゲーム実況動画を見られることへの意識が強すぎ、純粋にゲームプレイを楽しめなくなった」
と語っています。
さらにゲーム実況をする上で、
「ただただ動画を見られたい」
「他のポケモン実況主を潰したろ」
というような気持ちで動画投稿をしてしまい、ポケモンへの愛着がなくなってしまっていたそうです。
不登校から、徐々に人生を向上させきた彼ですが、紆余曲折を送る日々を送っていたのですね。
そしてこの年は彼にとって、さまざまな出来事が起きる1年でもあります。
彼の配信スタイルは過激な発言が飛び交うこともありました。
ですので、これまでのファンへの罵倒などもあり、怒りを買うこともありました。
中でも彼にとって、大きな出来事は視聴者に住所がバレてしまったこと。
この時は、人生が終わったと語っています。
この動画ではポップな感じで動画を上げていますが、内心はかなりビクビクしていたそうです。

そしていろんなことを模索しながら、彼は中学生の頃にやっていたぷよぷよをもう一度やり始め、「ぷよぷよ」の実況動画を上げることになるのです。
そしてこの動画は彼の代表作となります。

今ここです!
彼YouTube開設してからも様々な出来事はありますが、彼の名は世に広がっていく一方でした。しかし、この時彼にあの事件が勃発します。

ポケモン大会潰し事件。
2014年9月に行われたポケモン大会で彼は対戦し終えた後、対戦相手と大会運営側に文句を言います。
そしてそれがきっかけで、その大会は中止になってしまいます。
経緯を説明すると、対戦開始時間に相手は間に合わずに15分遅れて始まります。
そして、その試合で彼は負けてしまいます。
対戦終了後、彼は相手が遅刻したことに対しての運営側の対応にクレームを入れます。
さらに対戦相手に対しても強く当たってしまいます。
これはメディアにも載るほどの出来事になり、彼は後日ブログと動画にて謝罪をすることになります。

かなり言い方は激しいですが、意見としては間違っていません。
それだけポケモンへの情熱があったからこその行動だったのもあるでしょう。
ただその一件で、一時期ポケモンから離れることになります。さらに会社もやめ、半年ほどニート生活を送ります。
そして、再度就職をするも、会社の業務に手を抜きすぎ副業がバレてしまい、2015年8月に退職します。
そして、いろんな出来事を経て、ここから本格的にゲーム実況に力を注ぐことになるのです。
それからはゲーム実況者としてさらに認知も高め、イベントに参加したり、メディア出演などもあり、さらに人気を高めていきます。
また、彼はさまざまなゲームを行っていますが、中でもぷよぷよに対しては他のゲームにはない情熱を見せています。
2015年の彼のブログでは、ぷよぷよの試合の振り返りが書かれています。
その中で自分に足らないのは「研究」だと言っています。それまで感性だけでプレーしていたと反省しています。
さらにそこには、
「僕は天才でもなければ才能があるわけでもないです。
やはり人並み以上に努力して、研究をしないと今より上にはいけない」
と書かれていました。
ぷよぷよへの熱い情熱が、ひしひしと伝わってきますね。
この頃、あの「バッコリ」が流行りますw
ウナちゃんマンという配信者がピッケルを持って、ニコ生の喧嘩相手に
「ガッチガチにやっていいの?おめぇの事バッコリやってやるからな」と煽ります。その大事件になりました。
この事件でもこうさんが「バッコリ」を愛用するようになりました。
バッコリの使い方は、
「ばっこりシバいていく」
「ばっこり決めていく」
など少々乱暴な表現です。
派生として「バチコリ」もあり、バチコリータはとても可愛いですw

今ここです!
この年は彼にとってさまざまな出来事がありました。しかしここからはYouTubeのチャンネル登録者数100万人を超えるまで、ゲームイベントへの参加、声優デビューなどで活躍の場を広げていきます。

【YouTubeチャンネル登録者100万人到達】
2016年、彼の勢いはとどまらず、ついにはオンラインパズルゲーム、MagicalStoneのサベージ役で声優デビューを果たします。
さらにスマートフォン向けアプリゲーム戦国幻武にて、声優名義の馬場豊としてデビューするのです。
またゲーム実況動画以外にもさまざまな企画の動画も配信していきます。
今ここです!
ここから彼はさらに勢いを増していきます。

2018年には日本eスポーツ連合が認定するぷよぷよ初のプロライセンス選手11人の一人に選出されます。
そんなプロライセンスに選出した彼は過去のインタビューで「ぷよぷよの存在とは?」という質問に対して
「難しいけど、コミュニケーションのツールです。俺は言葉のコミュニケーションが苦手なんで、拳で語り合うことで相手を認めたり、仲良くなったり、戦ってる中でしか繋がれない世界が『ぷよぷよ』にはあるんです。
『ぷよぷよ』をやってると、日常じゃ感じれない何かがあるんですよ。『ぷよぷよ』のおかげで、自分は支えられてきた。正直、『ぷよぷよ』がうまくなかったら、今頃何の取り柄もないクズ人間になってたと思うんですよね」
と語っています。
さらにこちらの動画では、
「自分の役目はぷよぷよの人口を上げること。他のプロの方と実力差はあるけど、これが俺の仕事だ!」
とプロ意識を見せています。

この想いがぷよぷよ初のプロライセンスを取れるようになったきっかけになったのでしょう。
今ここです!
さまざまなことがありましが、ここからはYouTube登録者数100万人まで駆け上がっていきます。

ゲーム実況を通じて、これまで多くのファンを魅了してきた彼。
ついに2020年5月にYouTubeチャンネル登録者数が100万人を突破します。

この時には、先日イキザマチャンネルでも取り上げた加藤純一さんもツイッターでリツイートしています。
ちなみに、そんな加藤純一さんはゲーム実況の時に
「どんなつまらないゲームでもあいつひとり居てくれたらなんとかなる」
という程の信頼関係あり、よく一緒にゲームしてますよね。
もちろんコレコレさんとも接点があり、ニコ生のイベントで一緒にモノマネをしたり司会を務める事もあります。

2人ともぷよぷよやスプラトゥーンが好きなので、よく対戦をしていました。

実はコレコレさんにYouTubeを勧めたのは、もこうさんです。
「コレコレならいける」と言われ、後押しをしてくれました。
サブチャンネル「とある漢のチャンネルもこう」は彼の日常を見ることができとても面白いです。
ピアノのイスをテーブルにして大好きなカレーを食べたり、ハムスターのグンロズと遊んだり。
新社会人へのアドバイスもしています。

【まとめ】
いかがでしたでしょうか?これが彼の生き様でした。

彼は過激な発言が多く、ファンからの怒りを買うこともあります。
しかし、「厨ポケ狩り講座」や「ぷよぷよ」といった、圧倒的不利な状況の中、それでも勝つんだというチャレンジ精神がファンの心を掴むことになっているのでしょう。
年齢を重ねると、チャレンジすることが少なくなります。
しかしそのチャレンジは、私たちが成長するのには欠かせない要素です。
彼から学べるのは、チャレンジすることの大切さ。
もし、チャレンジすることへためらいがあるなら、彼の「厨ポケ狩り講座」や「ぷよぷよ」動画を見て、チャレンジする勇気をもらってみてください。
以上イキザマチャンネルの糸山がお送りしました。
参考URL
- ソロクリア不可と言われたクエスト”武神闘宴”を10年ぶりにやった結果wwwwwww【実況|MHP2G】
- 【悲報】俺の大学時代の写真流出・・・たらこ唇でインキャ丸出しでした。。
- 【もこう先生】 中学不登校時代の話を告白【過去】
- もこう 大学に落ちまくった過去を話す。【PUBG実況】
- 不登校時代の俺
- 【ぷよぷよ】Tom戦を終えて
- 会社での俺の存在を 赤裸々に語る
- ニートになりました
- 俺が成人式に行かなかった理由。
- 俺が校長室で、一人卒業式をした話をする
- ゲーム実況の王 もこう、YouTubeチャンネル登録者100万人突破 活動10年の蓄積
- 【#もこう10周年】ゲーム実況の王 もこう、インタビュー8本まとめ
- 俺が小中学生のときに作ったホームページがヤバすぎる件。
- ポケモンの大会潰してすみませんでした。
- 「ぷよぷよ」初のプロライセンス選手決定 「もこう」「Kamestry」「くまちょむ」など11人
- もこうの実況さんのユーザーページ
- 大会潰した件について謝罪と弁解