芸能人の生き様

ローランドの生き様|過去の経歴まとめ

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「俺か、俺以外か」あの芸能界のドン、和田アキ子も認めた、現代ホスト界の帝王ローランドさんを今回は取り上げていきます。

若干27歳にして、ホスト界を牛耳り、ただならぬオーラで世界のスーパースターとも交流し活躍を続けるローランドさんの生き様見たくないですか?

ここでクイズです。

ローランドさんはある大物芸能人からお叱りを受け、謝罪します。

それは誰でしょう?

プロフィール

名前: ローランド
出身:東京都八王子
生年月日: 1992年7月27日

章構成
  • サッカーで挫折
  • 帝王の下積み時代
  • 俺か、俺以外か

【サッカーで挫折】

日本ホスト界を根底から覆したローランドさんは、1992年東京で生まれます。

ローランドさんは幼少期から、「すでにローランドだった」と言うように、その頃から名言が飛び出していたようです。

ローランドさんが小学生1年生の時のことです。

小学校で必ずあるクラス分けで、

「クラスという団体に所属して、一括りにされるのが嫌だ。なんでそういう組織に在籍しないといけないんだろう。フリーがいいな」

と納得がいかなかったそうで、担任の先生に

「なんで僕はそういう集団の一部にならないといけないんですか?カテゴライズされるのが凄く嫌で、唯一無二がいいんです」

とこんなことを言って困らせたこともあるそうです。

幼少期からローランド節が炸裂していましたが、中学、高校で夢中になった大好きなサッカーで社会性が身についたと言っています。

生き様研究家

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今の姿を見ていると、一切苦労なく、生活してきたのではないかと思いますが、実はそうではありません。続きを見ていきましょう。

ローランドさんはホストとは無縁のサッカーにのめり込みます。

プロサッカー選手を目指し、中学時代は柏レイソルのジュニアユースのクラブチームへ入団。

そして高校はサッカーの名門の帝京高校へと進学します。

高校ではサッカー漬けの毎日を送ります。
しかし名門なだけに練習がとても厳しかったそうです

練習中は水も飲めないことがあったそうで、練習場の近くにあった川の方へワザとボールを蹴り、ボールを取りに行くという理由で、川の水を飲みに行ったり、自分の汗を飲んだりしていた、と語っています。

そんな厳しい練習をプロサッカー選手になるために耐え続けますが、怪我をしたこと、そして高校最後の大会で敗れたことがきっかけで、プロへの道を諦めます。

そして、親のすすめで大学へ入学するのですが、、、

生き様研究家

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この時ローランドさんは「劣等感の塊だった」と言っていて、帝京高校サッカー部と言うこと自体抵抗があったそうです。

プロサッカー選手になる夢が途絶え、ただ漠然と親に勧められて入った大学の入学式で、ローランドさんは、この先の人生が見えてしまったそうで、「ここは俺の居場所じゃないな」と思い将来について考えることになります。

入学式後は、大学に行かずにフラフラしていたそうなのですが、ある日、ローランドさんの聖地であり、原点にもなっている「富士森公園」に向かいます。

公園の階段で座りながら、桜を見て将来のことをずっと考えていたそうです。

そこで、散っていく桜を見て、

「桜のように短命でもかっこよく一花咲かせたい」

と思いホストになることを決意します。

そして、4月18日に歌舞伎町のホストクラブへ面接に行き、4月20日にホストとしての1歩を踏み出すのです。

ちなみに、ホストになろうと思ったのは、テレビでホストの特集を見た時に、

「あ、オレ顔で食ってけるタイプだわ」

と思い、それがずっと頭にあったそうです。

ホストになることを決意したローランドさんはそのことを家族に話します。

しかし、ローランドさんの父親は、1週間で辞めると告げられ、その上ホストになると言われたことに激怒し、ローランドさんとの縁をきります。

そして、ローランドさんは家族との関係が修復することなく、ホストとしてスタートを切ります。

【帝王の下積み時代】

ホスト界の帝王と呼ばれているので、デビューしてすぐに売れ出したのではないかと思いますが、実はあのローランドさんを持ってしても、最初1年は全く売れなかったそうです。

ホスト下積み時代は、月給が1桁くらいの時もありました。

また当時は、家賃6万円、エアコンなしの西新宿に部屋を借りて、歌舞伎町まで自転車で通勤していたそうです。

先輩に媚を売るのも嫌だったそうで、カロリーが高い50円のパンを買って食べたり、ついには歯磨き粉も食べられるんじゃ?と思うほどの生活をしていた頃もありました。

でも、そんな時でもローランドさんは、内に秘めた大きな自信と野心を持ち続けていました。

なかなかお客さんがつかない時は、

「自分が最先端にいすぎて、世間が追いついてきてない。もう世間待ちだな」

と思ったり、

「早く顧客の見る目が育ってくれないかな」

と思っていたそうです。

またローランドさんが現在ホスト界の帝王として君臨できている理由は、こういった反骨心も影響しているでしょう。

新人の頃は、体が大きいという理不尽な理由で焼きそばパンを食べさせたり、同じ歳の先輩に接客中に「俺、新人嫌いなんだよね」と言われたりすることもあったそうです。

ただそういう時は、

「俺も、いつかは!」

という反骨心に火がついていました。

だからこそ、辛い下積み生活を乗り越えることができたのでしょう。

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今のローランドさんからは想像もつかない生活ですが、ここから成功の道が少しずつ拓けていきます。

彼に転機が訪れたのは、あるお客様との出会いでした。

そのお客様は1ヶ月で30万円くらい使ってくれ、初めて月の売上が50万円になったそうです。

当時ローランドさんが働いていたお店は小さく、1人前のホストと言われる売上の基準が50万円だったそうで、見事それをクリアし、ナンバー写真がお店に飾られることになります。

それまで書いていたブログは自信過剰な内容で、ただのビッグマウスになっていたのが、お店でナンバー入りしたことで、やっと評価してもらえるようにもなります。

そこからは、なんと半年で売上が1000万円まで上がるのです。

そして1位というポジションが当たり前となり、若干20歳で代表取締役に昇格します。

ただここである出来事が起こります。

若くして代表取締役になりますが、周りが年上ばかりだったため、キャスト20人がオーナーに

「代表(ローランド)をクビにするか、全員クビにするかを選んでください」

と言われてしまいます。

そして、オーナーはローランドさんではなく、キャストを選ぶのです。

そのオーナーの選択を見て、

「こんな店やめてやるわ」

と、そのお店をやめることになります。

そして行き場を失った時にKGグループの会長と話す機会があり、会長から、

「日本一の店舗にしたい、お前の力を借りたい」

と言われて、KGグループに移ります。

生き様研究家

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ホストとして成功へと昇りつつも、障害が立ちはだかりますが、ローランドさんにとっては、これらはただの成長点にしかありません。その理由はこれからわかりますので、続きをご覧ください。

移籍したKGグループはホスト業界でも有名なグループだったので、ローランドさんは期待して、任されたお店に行きますが、従業員が全くやる気がなく絶望してしまいます。

ただ、

「ヘッドハンティングで入ったからには嫌われ役をやってでも変えないと」

と思い、厳しく指導していきます。

有名なグループだけあって、お店には売れているホストばかりだったそうです。

なので、関係も構築できていないローランドさんからの厳しい指導方法が合わずにどんどん辞めていってしまいます。

しかしローランドさんは、

「やる気のないキャストが辞めてくれて逆にすっきりした。こっから日本一を目指す基盤ができた」

と考えたそうです。

そこで、そのお店に足らないと感じていた知名度をあげるために、活発に活動をし始めます。

地上波のテレビやバラエティ番組にも出演したり、コラムを書いたりなど直接の売上にはならないが、自分の名前を売るプロデュースに専念します。

それが功を奏し、地方でナンバー1やめちゃくちゃ売れている人が働きたいと言ってくれるようになり、相乗効果が生まれ売上が伸び始めたそうです。

実はローランドさんは、最初からローランドという名前ではなく、元々は「東條誠(とうじょうまこと)」という源氏名で活動していました。

「東條誠」という名前で成り上がり、ホスト業界でも最高峰のブランド力を持つまでになっていました。

しかしそのネームバリューを捨て、2017年8月に「ローランド」に改名するのです。

この改名について、ローランドさんは、

「誰もやってないからこそ価値がある」

と語っています。

ただ改名しても、ローランドさん自身のカリスマ性が勝り、その人気は衰えることはありませんでした。

そして、ローランドさんの中で1つの目標だった、店舗売上1ヶ月1億円をクリアするのです。

さらには2018年のラストバースデーイベントでは6000万円以上を売上げ、グループの個人最高売上記録を樹立します。

そのイベントを最後に華々しく現役を引退し、その後は独立を果たします。

ローランドさんはプレイヤーとしてすごいのは、お酒を飲まないスタイルです。それにも関わらず、多くのお客様がいたのは、

「目の前のお客様を楽しませること」を一番大切にし、それを徹底してきたからでしょう。

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ちなみに彼はバースデーイベントの時にこんなことを言っていました。「趣味はお菓子作り感覚で、歴史を作ること」。その言葉通り、ローランドさんはホスト業界に歴史に刻んだに間違いありません。

【俺か、俺以外か】

現役引退後もその活躍は上昇を続け、初めて開催した展覧会「Ro LAND ~俺か、俺以外か~」では、全国を巡回するほどの人気っぷり。

2019年に4月にはローランドさんがこだわり抜いたホストクラブ「THE CLUB」をオープンします。

壁には、スティーブ・ジョブスの有名なスピーチが書かれていたり、ホストクラブのイメージを覆しました。

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現在ローランドさんは「THE CLUB」の経営を中心に、脱毛サロン、飲食店、シャンパンの輸入総代理店など、実業家として幅広く活動しています。

ローランドさんといえば、名言の数々。

超ポジティブ思考から生まれる名言は、バラエティの大御所たちも注目するほど。

例えば

「俺、来た道戻らないから覚える必要ない。自分の来た道を突き進むだけだから」

「俺はホストやるために生まれてきたのではなく、ホスト業界が俺に働いてもらうために生まれてきたんだよ」

「去る者追い越せ」

「最高の物がいつも最高の扱いを受けるとは限らないよ。 子供にはロマネコンティを出すよりもコーラを出した方が喜ばれるのと同じ」

「”若かったら”という言葉で人は可能性を失っている」

そして、

「世の中には、2種類の男しかいない。俺か、俺以外か。」

これまで多くの名言を残してきているローランドさん。

しかしこの名言の裏には彼なりの流儀があります。

それは、「いかに短く、シンプルな言葉で人の心を動かすか」です。

この「世の中には2種類の男しかいない。俺か、俺以外か。」という名言も本来なら、

「世の中にはたくさんのホストがいるけど、俺は他のホストとは努力の質が違う。だから誰にも負けない唯一無二のナンバーワンなんだよね。」

となるはずですが、ローランドさんは、

相手に響くように「いかに短く、シンプルな言葉で人の心を動かすか」を意識しているので、僕たちの頭に残る名言が飛び出すのです。

また返答へのスピードも意識しており、3秒以内に面白い言葉を瞬間的に出すようにしているそうです。

ローランドさんの名言は、シンプルかつ短い言葉なので、勘違いする人もいますが、ローランドさんなりの流儀があり、プロ意識によって生まれていたものだということです。

またローランドさんは芸能界でも話題になり、ダウンタウンさんや和田あき子さんなど大物芸能人が司会をする番組にも出演します。

さらには、サッカー好きということもあり、バナナマンさんがMCを務める「ソノサキ」の密着企画でスペインまでレアル・マドリードの選手たちに会いにも行きました。

これまでに、元ポルトガル代表のフィーゴさん元クロアチア代表のモドリッチ選手などとお会いしたり、また違うイベントでは元ブラジル代表のロナウジーニョや元イタリア代表のデルピエロ選手などサッカー界のスーパースターとも共演しました。

その他には、横綱の朝青龍さんや歌手のGacktさんとなど早々たる方々とプライベートでお付き合いがあるそうで、交友関係の広さには驚きを隠せません。

イキザマチャンネルでも取り上げた、ラファエルさんやヒカルさんともコラボが実現しています。

ヒカルさんはローランドの脱毛サロンに突撃をしていました。

また芸能界のドンとも言える和田あき子さんとも共演しています。

共演場所はローランドさんが経営するホストクラブ「THE CLUB」で、その動画はローランドさんのYouTubeチャンネルにアップロードされています。

少し酔ったローランドさんとアッコさんが観られるので、興味がある方はぜひ観てみてください。

この共演がきっかけで、アッコさんはローランドさんを気に入り、アッコさんの生放送ラジオにゲスト出演を要望します。

またそのラジオ番組も大いに盛り上がり、当初予定していた時間を延長しての出演となりました。

実はこの出演には裏話があり、コロナウイルスの影響により、仕事の調整でバタバタしていたローランドさんに1本の電話があったそうです。

その電話はアッコさんからで、用件はラジオ出演の確認でした。

でも、ローランドさんはラジオ出演の日程をすぐに答えられなかったそうで、アッコさんに怒られてしまったのだとか。

なので、ラジオ番組出演前に、アッコさんに謝るシーンもありました。

さらにローランドさんはラジオの出番が終わっても、アッコさんが帰るまでラジオ局内で待っており、丁寧にお見送りする姿がありました。

そのローランドさんの行動ひとつひとつが、これだけの成功を収め、多くの方から慕われる理由でしょう。

ローランドさんは男性とは思えない美しさにより、多くの女性を虜にしているわけですが、気になるのはその私生活。

ローランドさんのYouTubeチャンネル「THE ROLAND SHOW」ではローランドさんの日々のルティーンを見ることができます。

ローランドさんは次の日、何も予定がなければ9時か10時には起き、天気を確認するために大きなブラインドを開けます。

そのあとは使い捨ての歯ブラシで、自慢のパーツである歯を磨きます。

そして細かいケアで爪磨きをし、ハンドクリームで保湿。

毎朝欠かさないと言う筋肉を分解しないEAAというドリンクを飲み、体のケアを怠りません。

無印の化粧水を愛用しています。

そして暖炉の前でストレッチを行い、カロリーが控えめな食事をとり、トレーニングに向かいます。

補足ですが、テレビは24時間つけっぱなしで寝るときの湿度は70%以上に設定するそうです。また携帯は夜の3時〜15時までは見ないようにしており、私生活からローランドさんのストイックさ感じることができます。

こんなローランドさんがいるのも、父親の影響が大きいようです。

ローランドさんはホストとして売れ出した1年後に、家族に謝罪をするために給料の100万円を渡したそうです。

そこで仲直りするのですが、お父さんがローランドさんを勘当したのには、こんな理由がありました。

ローランドさんの父親は、超有名ギターリストの松尾洋一さん。

二人が仲直りしたあと、お父さんからこんなことを言われたそうです。

「俺も福岡から東京に行くってなった時に、ギター一本で生活をするって言ったら、周りに大反対された。それでも自分はできると思って東京にきたから今があるんだ。

あの時、お前を止めたのは、家族が大反対したくらいで折れるような夢だったら、最初から叶わない。だからお前を試す意味でああいう止め方をしたんだ」と。

ローランドさんが周りの反対を押し切ってホストになる決断をした姿を見たお父さんは

「でも、それを押し切ってお前は出て行ったから、遅かれ早かれしっかり成功すると思っていたよ」

とローランドさんに言ったそうです。

ローランドさんはそれを聞いて、

「かっこいいな。俺もこんな親になりたい」

と思ったと語っています。

ローランドさんも凄いですが、やはりローランドさんを育てたお父さんもすごいですね。

ローランドさんは「THE CLUB」というホストクラブを経営していますが、ホストクラブの経営において損得は考えていないそうです。

というのも、ローランドさん自体がホスト業界への強い想いがあり、自分の店で働くホストたちの成長する姿を見たいのと、ホスト業界への感謝の気持ちを持っているからだそうです。

そんな現代ホスト界の帝王が、これからどんな伝説を作り上げていくのか、楽しみですね。

【まとめ】

いかがでしたでしょうか?

彼のプロ意識の高さが、テレビやラジオなどの様々なメディアでも取り上げられる要因なのでしょう。

ローランドさんの生き様を通じて、その言葉の真意を探ってもらうとまた違った捉え方ができると思います。

イキザマチャンネルの糸山がお送りしました。

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