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作詞・作曲・イラストにダンスまで、すべてが突き抜けてる米津玄師さん。音楽業界では「10年に一度の天才」とも呼ばれています。
こちらが彼の人生グラフです。

彼は持ち前の感性の鋭さで、人間の心の裏側の暗い部分を表現する事にとても長けていますが、実はこうした背景は彼の生い立ちの「挫折や苦悩」に隠されていたのです。
今回は、そんな彼の不運な生い立ちから、国民的ミュージシャンと呼ばれるまでの生き様について濃ゆく触れていきます。
さて、クイズです!
彼の代表作でもあるLOSER。ミニュージックビデオの中でキレキレのダンスを見せますが、ダンスの練習期間はとても短いものでした。
さて、その練習期間は何週間でしょう?
答えは動画の中で!
名前:米津 玄師(よねづ けんし)
出身:徳島県
生年月日:1991年3月10日
- いじめや自閉症に苦しんだ暗い過去
- “脱ボカロ”米津玄師として活動スタート
- 新時代の国民的アーティストへ
【いじめや自閉症に苦しんだ暗い過去】
1991年3月10日、有名人不毛の県として知られている「徳島県」の徳島市で生まれます。
本人曰く当時は「何にも無いところ、音楽や色んな事をやっていても話の合う人があんまいない、早くここから出て行きたい」と思っていたそうです。
そして芸名のような「米津玄師 (よねづ けんし)」という名は実は本名。
その証拠として保険証の名前部分が映された写真をTwitterにのせていました。

かなりインパクトのある名前ですよね。
そして「玄師」という名前の由来についても、めちゃくちゃ気になるところですが、まさかの本人も知らないパターンでした。
いつか名前の由来が明らかになることを期待しています。

そんな彼の幼い頃は、美術の教員免許を持っている母の影響か、1人で黙々と絵を書いていたそうです。当時は漫画家を目指していたらしく、音楽とは大きくかけ離れた環境で生活をしていました。
そして絵を書くことに没頭していた彼は、友人も少なく孤独を感じる苦しい日々を送ることに。
幼少期から「高機能自閉症」を患っていたため、学校や家でもあまりコミュニケーションをとらず、友達もほとんどいませんでした。
そして「米津玄師」という特徴的な名前もあって、いじめられることも多々あったみたいです。
成長とともに生きていることに居心地の悪さを感じるようになった彼は、普通の人とはかなり変わった学校生活を送ることに。
クラスメイトや友達とは喋らない代わりに、自分の妄想で生まれた「架空のキャラクター」と話をしていたみたいです。
しかし今振り返ってみると、これが現在の彼の「世界観や独創性」が生まれるきっかけになったのかもしれませんね。
今ここです!
小学校高学年になった彼に、音楽の世界に足を踏み入れることになった「あるきっかけ」が訪れます。今まで内向的だった彼が初めて自発的に行動を起こすことに。それでは見ていきましょう!

小学5年生のとき、当時インターネットで流行っていた「FLASHアニメーション」を視聴していたところ、日本を代表するロックバンド「BUMP OF CHIKIN(バンプ オブ チキン)」の曲にたまたま出会いました。
彼はこのとき、BUMPのボーカル「藤原基央」さんの曲に大きな影響を受け、音楽にハマるきっかけになったそうです。そして、その当時を振り返ったインタビューでは
「BUMPの音楽はすごく映像的で、聴いていて情景が浮かぶものだった。今まで自分が漫画やアニメを通して見てきたものと、すごくリンクする部分があったんですね。」
と答えていました。
もし当時彼がFLASHアニメーションを見ていなかったら、漫画家としての道を歩んでいたのかもしれませんね。
そんな彼はBUMP以外でも、スピッツやASIAN KUNG-FU GENERATIONといった邦楽ロックのアーティストにのめりこ込んでいき、「自分もこんな存在になりたい!」と、勢いで2万円のエレキギターを購入します。
初めて自発的に行動を起こした彼は「自分でも曲を作りたい」という気持ちがどんどん強くなっていき、中学2年のときには学校の友人たちとバンドを組み、文化祭でオリジナル曲を披露します。
ちなみに当時のバンドメンバーの演奏はひどかったが、曲はあとから振り返っても良かったみたいですよ。当時の映像など残っていれば、間違いなくお宝映像になっていましたねw
そして彼は、この頃から「プロになりたい」という強い思いが芽生え、当時組んでたバンドのメンバーでお年玉を出し合って「MTR(多重録音機)」を購入します。

本格的に音楽の道へ進むことを決めた彼は、オリジナル曲の制作を開始します。
今ここです!
高校に入ってメンバーが別々の学校に進んだこともあり、中学時代に組んでいたバンドは自然消滅してしまいます。そして、そんな彼は甲子園で優勝経験もある、スポーツが盛んな高校「徳島工業高校」に進学しました。

高校時代の彼は楽曲の制作に没頭しており、学生生活の中では常にイヤホンをつけて音楽を聴いていたみたいです。
高校の同級生の話によると、教室の中が騒がしい時には「机をバーンッと叩いて出ていってしまう」なんてエピソードもあったみたいですよ。
そして楽曲制作と並行してアマチュアバンド「late rabbit edda(レイト ラビット エッダ )」のフロントマンとしても活動を始めます。
《フロントマンとは》
ヴォーカリストやギタリスト(ときにベーシストも)などの、ステージ前部でパフォーマンスするメンバーのこと。ドラマーやキーボーディスト等はこれには含まれません。
16歳のとき、このlate rabbit eddaで「音楽の甲子園」と言われる10代限定のロックフェス「閃光ライオット」に出場。見事デモテープによる1次審査が通過しますが、惜しくもスタジオでの2次審査は落選してしまいます。
ちなみにlate rabbit eddaの曲は、10年以上たった今でもYouTubeに多くのカバー曲が上がっています。当時高校生だったとは思えない曲のレベルの高さ、この頃から音楽の才能を発揮していましたね

今ここです。高校2年生ころ、ついに彼の原点である「ボーカロイド」に出会います。彼が「ハチ」という名前で活動するきっかけとなったのは、、、気になる続きを見ていきしょう!

彼はパソコンを新しく買い替えたのを機に、「ボーカロイド」を使用したオリジナル楽曲の制作を始め「ボカロP(プロデューサー)」として活動していきます。
《ボーカロイドとは》
ヤマハが開発した音声合成技術、及びその応用製品の総称。
歌詞とメロディーを入力するだけで、コンピュータやスマートフォンなどで歌唱を作り出すことができます。
活動の場は一時代を築いた動画配信サービス「ニコニコ動画」で、当時は「ハチ」という名でオリジナル曲を投稿していました。
この「ハチ」という名前は「飼っていた犬の名前がハチだったのではないか」という噂もありますが、実は少女漫画家「矢沢あいさん」の代表漫画「NANA」から由来しているそうです。
これはかなり意外ですよね。ちなみにNANAは当時お姉さんがよく読んでいたそうですよ。
そして2009年5月20日に、ボカロPハチとしての処女作「お姫様は電子音で眠る」をニコニコ動画に公開。
この楽曲は高い評価を得たものの「知ってる人は知っている曲」程度の人気でした。
ボカロPとして一躍有名になったのは2ヶ月後の7月。彼の通算4曲目となる「結ンデ開イテ羅刹ト骸(むすんでひらいてらせつとむくろ)」が大ヒットしたことがきっかけでした。
独特な感性が光る歌詞と中毒性のあるリズムが多くのユーザーから評価を受け、ニコニコ動画内の「週間ボーカロイド」のランキングでは、2週連続「1位」をとるという輝かしい実績を記録します。
その後も彼の出す曲「マトリョシカ」や「パンダヒーロー」は両者ともミリオン再生(100万再生)を記録し、ボカロ史に名を残す大ブームを巻き起こしました。普段ボカロを聴く人ならば、この2曲を知っているのではないでしょうか。
そんなボーカロイド界のトップクリエイターとして仲間入りを果たした彼ですが、翌年の2012年に衝撃的な出来事が起きてしまいます。
【”脱ボカロ”米津玄師として活動する事を決意】
今ここです!
なんとボカロP「ハチ」として長く築いた地位をすべて捨て、本名である「米津玄師」として自ら歌うことを決意。このまま波に乗って上手くいくと思われた彼だが、今まで体験したことのない大きな挫折を経験してしまいます。その挫折とは、、、

2012年5月16日に「米津玄師」としての初アルバム「diorama(ジオラマ)」をリリース。このアルバムは、パソコンの画面の向こう側にいる人ではなく、身近な人たちを喜ばせられる、そして「小学生でもわかるもの」を指針に制作に取り組んだみたいです。
収録曲はハチとして活動していたボカロを用いた楽曲とは違い、すべて彼の歌唱による「リアル ヴォーカル」で制作されたもの。これはミュージシャンとして成功した彼の「ボーカロイドを隠れ蓑にしたくないから」という考えによるものだそうです。
そして全身全霊で制作した「diorama」は、音楽情報サービス「オリコン週間ランキング」で6位という記録に。
インディーズながらオリコン初登場「6位」という輝かしい実績に喜ぶかと思いきや、、、彼はまったく違いました。
今までの経験を活かしすべてを注いだアルバムのランキング結果に納得できず、心が折れてしまったそうです。
当時を振り返った音楽誌のインタビューでは
「出せる限りの力をそのアルバムに詰め込んでやった結果が、自分の望んだものではなかった」
と語っており、自分の望むような結果に繋がらなかったことにショックを受けていました。
この結果から彼は楽曲制作の意欲も落ちていき、家に引きこもるようになるのです。
そして予定されていた彼のライブは「共同演奏者の不在」などを理由に開催されず、家でゲーム実況を見ているだけの生活が約1年間ほど続いてしまいます。
今ここです!
そんな心が折れている時期に、ある1つの映画が彼を救ったのです。その映画は、あの「ビートたけし」さんが監督した映画「ソナチネ」です。

ソナチネは「死」をテーマに制作された映画で、ヤクザが抗争に巻き込まれていくという物語。
彼は淡々と人が死んでいくこのソナチネを見て「死ぬことがそんなに簡単なら、もうちょっと生きてみようかな」と感じたそうです。
そして彼が立ち直るきっかけとなったのは、それだけじゃありませんでした。自分の価値が見いだせず、悩み苦しんだ時期に彼を救ったのは、ファンの意見や思いがダイレクトに届くTwitterとニコニコ動画でした。
Twitterのリプライやニコニコ動画のコメントで、自分の楽曲を待ちわびるファンの思いを受け、遂に行動を。翌年の2013年にシングル「サンタマリア」でメジャーソロデビューを果たします。
彼は元々メジャーで活動する必然性を感じていなかったそうですが、「自分が作る音楽にちゃんと理解があって、同じ熱量で同じ方向を見てくれる人」に該当する人が、たまたまメジャーにいたからデビューを決意したそうです。
そして、今までメディアへの露出を極端に嫌がるほど顔を隠していた彼が、このサンタマリアで初めてミュージックビデオで顔出しを。彼は顔出しをすることに対し「自分で望んでやっていることでも、なんで俺が前に出てこんなことしなきゃならないんだろうってすごく思っていました。今でもちょっと嫌ですけどね(笑)。」と語っていました。
自分の顔を出すことに対してすごく抵抗がある彼ですが、最近は徐々に変わりつつあるようです。テレビCMや賞の受賞式、SNSなどでは顔を出す機会が増えており、ファンとしては嬉しい限りですね。
そして、翌年2014年の3月と4月に新曲「リビングデッド・ユース」と「アイネクライネ」のミュージックビデオを公開。
アイネクライネは東京メトロの広告キャンペーン”Color your days.”のタイアップ楽曲となり、彼の名前を知る人が増えるきっかけとなります。
米津玄師という名は知らなくても、「アイネクライネの曲は知っている」という方も多いのではないでしょうか?
アイネクライネのミュージックビデオは公開からおよそ6年が経過した現在、YouTube上での再生回数が2億回を突破し「米津玄師と言えばこの曲!」と、長きに渡り代表曲と称されていました。
翌月の4月23日には、1stアルバム「diorama」以来およそ2年ぶりにして、オリジナルアルバム「YANKEE(ヤンキー)」を発表。バンドチックなメロディの曲が多い「YANKEE」は、収録曲の歌詞が難解な「diorama」とは異なり、万人受けする曲を作ろうと思ってできたそうです。
そして、この「YANKEE」はオリコン週間アルバムランキングにて初登場2位を記録。多くの方から注目を集め、iTunesの年間ランキング「iTunes Store BEST OF 2014 今年のベスト」でも「ベストアルバム」として選出されました。
ちなみに同年の「ベストアーティスト」では、音楽を始めるきっかけとなった「BUMP OF CHICKEN」が選ばれています。この並び、とても感慨深いものがありますよね。

今ここです!
更なる飛躍が期待される2015年。待望のニューシングルで、あの人気「スター俳優」や、高校の時から憧れを持っていた「4人組ロックバンド」とのコラボが実現します。それでは続きを見ていきましょう!

2015年の1月14日に3枚目のシングル「Flowerwall(フラワーウォール)」をリリース。
CDのジャケットは彼が自分で描き下ろしたイラストとなっており、彩り豊かに咲き乱れる「花の壁」の前に、女の子のシルエットが浮かび上がるという、印象的な一枚になっています。
そしてこの曲は、色男俳優の「小栗旬」さん出演の「Nikon D5500」のCMソングに起用され、全国でオンエアがスタート。
オリコン週間シングルランキングでは初登場3位にランクインし、シングルチャートにおいて初めてトップ10入りを果たしました。

また同年9月にリリースされた「アンビリーバーズ」は、MIZUNOのWAVE ENIGMA 5のCMソングへと起用されています。

翌月の10月には、3枚目となるアルバム「Bremen(ブレーメン)」を発表。鮮烈な米津玄師ワールドが存分に散りばめられたこのアルバムの名前は、グリム童話「ブレーメンの音楽隊」から由来しているそうです。
ブレーメンの音楽隊は今いる場所に疲れてしまった動物たちが、その場所から脱走してブレーメンという理想郷に向かうというお話ですが、彼はこの物語が自分の人生にリンクする部分があったとインタビューで語っています。
そんなBremenはオリコン、Billboard JAPAN、iTunesなど主要なヒットチャートのアルバム部門で初登場1位を獲得し、同年に放送された年末恒例の大型特番「日本レコード大賞」では優秀アルバム賞に選出されます。
24歳にしてこの実績は凄いですよね!
そしてCMの起用やCDの売り上げも好調な2015年の11月、ついに高校時代から憧れを持っていた「RADWIMPS」とのコラボが実現します。RADWIMPSのメジャーデビュー10周年記念に開催されZepp Tokyoでの公演に「対バン」として共演を。
《対バンとは》
1つのライブの中で複数のアーティストやバンドが出演するイベントの形式のライブのこと。
ライブ会場となったZepp Tokyoは2階席まで埋め尽くされ、言いようのない興奮を帯びた空気が場内を満たしていました。
彼はTwitterで、RADWIMPSと共演できたことに対して「高校生のときから聴いてるんだけど、そんなバンドと今になって同じステージに立てるっていうのはとても感慨深いし嬉しいです」とツイートしており、忙しかった2015年のハイライトもこのライブが一番だったと語っています。

今ここです!
この1、2年で大きく飛躍し「米津玄師」という名を広く世間に行き渡らせましたが、そんな彼は2016年にレコード会社を電撃移籍。「ユニバーサル ミュージック ジャパン」から「ソニー ミュージックレコーズ」に移動し、彼の人気はさらに鰻登りに。

【新時代の国民的アーティストへ】
移籍後初、およそ1年ぶりとなるシングル「LOSER(ルーザー)」をリリース。週間オリコンシングルランキングで初登場2位を記録し、自身のシングル作品最高位を更新しました。
LOSERはノリの良い曲調と、ミュージックビデオに出ている彼のダンスのレベルの高さに思わず目を惹かれてしまいますよね。ちなみに彼が踊っていたダンスは、たった「2週間」しか練習していなかったみたいです。
ダンス未経験ながらもここまで早く上達できたのは、当時「師匠」と呼んでいたダンサー兼振付師の「辻本和彦」さんの教えがあったからだそうです。辻本和彦さんは、かの有名なシルク・ド・ソレイユや、Siaの「アライヴ」で土屋太鳳さんが踊るダンスの振付も担当しており、世界的ダンサーとして慕われています。
そしてLOSERを発表した2年後には「Honda」のCMソングに採用され、オンエア直後からランキング急上昇し大注目を浴びました。2018年の7月6日にはYouTube上での再生回数が1億回を突破し、この快挙に彼は「1億回ありがとうございます。これからもよろしく。」と感謝のツイートもしています。

今ここです!
またまだ勢いが止まる気配がありませんね。ここから様々なTVアニメに彼の曲が起用されはじめ、アニメファンからの期待も高まります。最後までついてきてください。

2月15日に6枚目のシングル「orion(オリオン)」をリリース。「恋愛」をテーマにして制作されたこの曲は、将棋を題材としたアニメ「3月のライオン」のED曲として起用されました。
キャリア史上初のアニメの主題歌を担当した彼は、「3月のライオン」を初めて読んだ時にこう語っています。
3月のライオンを初めて読んだのが数年前、その時の第一印象は「この景色なんか見たことあるな」でした。僕は当時、舞台のひとつである月島に住んでいました。家の近所が漫画になっててとても驚いたのを憶えています。
原作舞台が家の近所ってのはすごい偶然ですね。何か不思議な縁を感じますw
そして4ヶ月後にorionに続く7枚目のシングル「ピースサイン」をリリース。なんと、この曲もTVアニメに起用されました。
そのアニメとは、超人バトルに学園要素を盛り込んだ王道漫画「僕のヒーローアカデミア」です。
彼はこの曲を制作する際に、週刊少年ジャンプのアニメ主題歌ということで、子どもの頃に親しんできた「デジモンアドベンチャー」やその主題歌「Butter-fly」のことも意識したとのこと。ピースサインは「今までの米津玄師らしさ」のイメージを痛快に裏切るような疾走感が表現されており、彼にとっての新たなステージがはっきりと見える曲となっています。
そして同年の6月18日に次世代女性ラップシンガー「DAOKO(ダオコ)」との夢の共演が実現。アニメ『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の主題歌「打上花火」の作詞、作曲とゲストボーカルを彼が手がけました。
この楽曲はリリース以降の2017~2018年を通してロングヒットを記録し アメリカで最も人気のある音楽チャート「Billboard Hot 100」の2017年の年間ランキングで3位、2018年ランキングでは4位へランクインを果たしました。
日本人アーティストはアメリカでは成功できないと言われたいる中、この記録は凄いです。
11月1日には『Bremen』からおよそ2年1か月ぶりのアルバム『BOOTLEG』も発表。過去のアルバムを大きく凌ぐ初動売上げを記録、オリコン、Billboard JAPAN、iTunesをはじめとする20を超えるチャートで初登場1位を獲得しました。
今ここです。ついに「米津玄師イヤー」と言われる2018年に突入。この年を代表するあの「名曲」が登場します。そして遂に「紅白」の舞台へ。それではいきましょう!

3月14日にTBS金曜ドラマ「アンナチュラル」書き下ろし主題歌「Lemon」をリリース。
この曲は、大切な人を失った悲しみや喪失感を痛切に歌う曲で「切なさと怖さと希望」そして「美しくも切ない」ナンバーとなっています。
実際の楽曲制作では、彼の祖父の死が大きな影響を与えたみたいで、完成までには今まで以上に時間がかかったそうです。
そしてこの「Lemon」は音楽史に残る爆発的ヒットを巻き起こします。
その輝かしい実績がこちらです。
・発売年内にCD販売と配信合わせて累計200万セールス超を記録。
・iTunes、レコチョクのデイリーランキング1位獲得・21冠、ウィークリーランキング1位獲得・13冠を達成。
・オリコン・デジタルシングルウィークリーランキングて初週売上23.6万DLを記録し、「発売初週でのDL数」「歴代累計DL数」両方の歴代記録を塗り替え。
・日本レコード協会から「史上最速100万DL」の認定を受ける。
・ミュージックビデオは、公開から13時間でYouTube再生回数が100万回を突破。
凄すぎますよね?2018年の彼の勢いはまだまだ止まりません。
Billboard上半期ランキングでは 「JAPAN HOT100」、「TOP ARTISTS」、「DOWNLOAD SONGS」で3冠を獲得し、JOYSOUNDカラオケ上半期アーティストランキングでも首位4冠に、歌詞サイトの歌ネットでは2冠。
彼は間違いなく2018年の音楽シーンを牽引するアーティストとなりました。
そして忘れてはいけないあの国民的ナンバーの一つとなった「パプリカ」もこの2018年にリリース。
ミュージックビデオの再生回数も早々と1億回を超え、数多くのダンス動画が投稿されるなど、子供から大人まで幅広い年代にわたる社会現象となりました。
そして作者である彼がセルフカバーをしたアレンジverも話題に。洋楽を思わせる様なサウンドに、和楽器といったん日本ならではのサウンドも加え「大人の歌謡曲」という感じに仕上がっています。
そしていよいよ歌手ならば誰もが夢見る「NHK紅白歌合戦」の舞台に初出場を果たします。故郷である徳島県内の「大塚国際美術館」から生中継で大ヒット曲の「Lemon」を披露。
生中継ではLemonのミュージックビデオでも見られた「教会」「ダンサー」「祈る人々」「光」同様の世界観を再現し、彼の存在感を強く示す結果となりました。彼の歌唱が終わるやいなかネット上では大反響を巻き起こし、彼の公式ホームページにはアクセスが集中してサイトが開けない状態に。
そして今回の2018年の紅白は、彼のパフォーマンスの他にも、DAOKOさんが「打上花火」を歌唱し、小学生ユニット「Foorin」が「パプリカ」を歌っています。
勘のいい人は気づきましたか?そうなんです。
彼は初の紅白、そして2018年を締めくくる「平成最後の紅白」という大きな舞台で自分の持ち歌を「3曲」も披露しているんです。
彼は「テレビに出るべき時がきたら出る」と言っていましたが、それがこの今回の紅白なのかもしれません。
十分すぎるインパクトを与えることに成功した彼は、まさに「今年の顔」ともいえる存在になったでしょう。
現在は「パプリカ」の英語バージョンが全世界に向けて配信するなど、様々な国から彼の存在感は注目されています。国民的アーティストから世界的アーティストへと駒を進めた彼の今後の活躍も楽しみですね。
【まとめ】
米津玄師さんのイキザマはいかがでしたでしょうか?
幼少期に孤独やいじめを体験し、その生い立ちは順風満帆とは言えないものでした。しかし、そんな彼がここまで成功できたのは「目の前のことを楽しみ、それに没頭したから」だと思います。
音楽でもスポーツでもゲームでも料理でも何でもいいのです。
楽しみながら何か一つのことに向かって没頭することで、その人にとって楽しい人生に繋がります。
そして、それが結果として「夢が叶うという形になる」ということを、私は彼のイキザマから学びました。
以上イキザマchの糸山がお送りしました!
参考URL
- 米津玄師 – Wikipedia
- お雑煮 | 米津玄師 official site「REISSUE RECORDS」
- 米津玄師はなぜ恋愛をイメージして“orion”を書いたのか|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)
- BUMP OF CHICKEN がいて、RADWIMPSがいて、自分がいること。
- 米津玄師、「Lemon」が“ダブル・ミリオン”突破!フィジカル&デジタル合算で200万セールス超え!|株式会社ソニー・ミュージックレーベルズのプレスリリース
- 『僕のヒーローアカデミア』米津玄師インタビュー 主題歌「ピースサイン」に込めた想いとは (2017年6月17日) – エキサイトニュース
- 米津玄師「Lemon」インタビュー|人間の死を見つめて – 音楽ナタリー 特集・インタビュー
- MUSICA(ムジカ) » MUSICA最新号<チョイ読み>
- 米津玄師「Bremen」特集 – 音楽ナタリー 特集・インタビュー